ねこにまたたび 下



「ところであのスプレー、どこで手に入れたんだ?」
明け始めた空の下、並んで家路を急いでいるとき、快斗が不思議そうに尋ねた。
「ああ…灰原に頼んだんだよ。キッドを捕まえる薬が欲しいってな。でも何であんなことになったんだ…」
「………しんいち」
「んだよ、現場では容赦しねえって言ったじゃねえか」
拗ねたような表情で新一を見つめる快斗に、若干心が痛むけれど、新一は目的のためには手段を選ばないのだ。それを知っているからこそ、快斗もキッドの時は本気で挑むし、お互いの手の内は探らない。
「うん、うん、わかってる。わかってるけど…流石に酷くねえ?」
「だってオメーに半端な薬は効かねえの分かってるし」
「………」
だからと言って自分が知らぬ間にドクターのモルモットにされるのは何だか釈然としない。
むくれたままの快斗を放って、新一はポケットから例のスプレーを取り出し、日に翳した。ガラス容器に入れられた中身は、朝日を反射してキラキラと輝いている。
「しっかし、何が作用したんだ…?」
「ちょっと貸して」
慎重に中身の検分をし、恐る恐る空中に少しだけスプレーしてみるも、今度は何も起こらなかった。かすかに薬のような匂いがするが、それも快斗にしてみれば殆ど影響のない範囲内のものだろう。
「…なんだろうな。俺も、オメーにスプレーされたとき、どうしても新一とヤらねーといけねー気持ちになったんだよなあ…まあ追いかけてるうちに切れたけど、やっぱヤりてーじゃん?……ッて…」
「なんだそれ…媚薬じゃあるまいし…………つーか切れたならサカるなよ…」
半分脱力しつつ、心底不思議そうに首をかしげる新一の横で、突然快斗は顔を青ざめさせた。 「………なあ新一、俺さ、仕事の前に哀ちゃんからプリンもらったんだよな」
「………そーいえば俺も、家出る前にコレ飲んどけってサプリみたいの飲まされた」
二人が同時に黙り込んでしまったのは言うまでもない。


***



「灰原!あの薬一体なんだったんだよ!」
息も荒く飛び込んできた新一には一瞥もくれず、灰原はパソコンのモニターに向かい合い、何かをひたすら打ち込んでいる。恐らく新薬か何かのデータなのだろう。
「あら、怪盗さんを捕まえる薬じゃない」
「嘘付け!あん時大変だったんだぞ!」
新一の言葉にピクリと反応を示した灰原は、キーボードを叩いていた手を止めると、クルリと新一に向き合いじっとその目を見つめた。
「嘘とは心外ね。あなたは捕まえる手段については何も言わなかったから、私が自分なりに解釈して怪盗さんを捕まえる薬を作ってあげたんじゃない。」
捕まったでしょ?と、にっこり笑う灰原の目は笑っていない。これ以上新一が何か言えば問答無用で追い出されるか、最悪今手がけているだろう新薬のモルモットにされてしまうことは、これまでの経験から日の目を見るより明らかだ。釈然としないながらも、新一は渋々阿笠低を後にした。

「発情期の猫の気持ちがわかったかしら」
新一が消えた扉の向こうに、灰原がクスリと笑って呟いた言葉が届くことはない。