言葉



side K

思い返せば彼との生活には睦言の一つもなかったように思う。互いに照れ屋だとか、寡黙だとかではなく、ただ、言う必要がなかったのだ。



薄暗い部屋にそっと入る。ぼんやりとベッドの頭部分に光が見えているのは、きっと新一が携帯で何かやっているのだろう。
「新一…調子はどう?」
「ん、平気」
快斗の問いかけに、新一は携帯から目を離さず答える。少し寂しい気もするが、いつものことなので気にするほどでもない。
「よかった。俺は今から行ってくるけど、哀ちゃんに来てもらう?」
「…いや、大丈夫だ」
そうか、と答え部屋を去ろうとした快斗の背中に、新一がそっと声をかける。
「…快斗、気を付けろよ」
その時の新一の表情を快斗は知らない。



「写真…一つくらい持ってればよかったな…」
KIDは高いビルの屋上で小さく呟いた。もちろんそれが危険なことは承知しているが、けれどもこんな日くらいは、と思ってしまう。
「しんいち…」
小さく小さく彼の名前を呼んでみる。誰も上らないような冷たくて寒い屋上では、こんな囁きを耳にする人なんてきっといないから。だから、KIDはポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「…これもパンドラじゃなかったんだ…結局見つけられなくて、寒いし、痛いし、動けないし…」
こんなことをしている間にも血はとどまることを知らずに流れ出て、咳き込めば血が口からも溢れてきた。
「どうしようか…もう、…言ってもいいのかな…」
言葉は、繰り返す言葉は、強調する言葉は、その人が一番苦手としていることなんだと知ってから、ずっと言えなかった言葉。
たかが言葉と笑われるかもしれないけれど、けれど気持ちが離れるのが怖くて言えなかった。
「し、…いち…」
ああ、もう、意識も消えそうだ。
自分が消える前に、せめて。一度も言わなかった言葉を、言うだけの時間をください。
「     」







side S
あの日、嫌な予感はしていた。
きっと俺が止めれば快斗は出かけなかったし、あんな結果にもなっていなかっただろう。
けれど、俺に快斗の決意を邪魔する権利はないし、意思を尊重したいと思った。



薄暗い部屋にそっと入ってくる気配がした。
わざと消していない気配に酷く安心するし落ち着く。
「新一…調子はどう?」
「ん、平気」
興味もないのに、携帯に配信されるニュースを読んでいる振りをする。声は震えなかった?いつも通りの自分を演じることはできた?
顔を見たいけれど、見てしまえばきっと止めてしまうから。新一は携帯の小さなモニターを必死で見つめる。
「よかった。俺は今から行ってくるけど、哀ちゃんに来てもらう?」
「…いや、大丈夫だ」
何でお前はこんなときまで俺の心配をするんだ。俺が望むことはお前が無事に帰ってくることなのに。
そうか、と安心したように呟き、快斗の気配が遠ざかる。新一は去っていく背中に、ありったけの想いを籠めて言葉をかけた。
「…快斗、気を付けろよ」
泣きそうな顔だったなんて絶対に教えてやらないけれど。




変わり果てて帰ってきた快斗を見て、悲しさとか苦しみとかよりも先に、ああやっぱりと思った。
涙は不思議と出てこず、ただ快斗を見つめていた。
「かいと…」
カラカラに乾いた喉から搾り出された声は、酷く掠れていて、快斗が聞いたらあの時みたいだと喜びそうだなと、場違いなことを思った。
そういえば自分たちはほとんど言葉にしたことがなかったけれど、ずっと言いたかった言葉がある。今くらい言っても許されるだろうか。
「     」

声に出したはずなのに、音は喉に貼り付いて、最後まで音声として届くことはなかった。