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僕の世界が変わった瞬間 〜後編〜
どれくらい経っただろう。リビングのソファに寝転がって天井を見つめていた新一の耳に、カチャリという扉が開く音が聞こえた。
「ちょっとぉ新一?寝るのはいいけどご飯食べたの?もういい時間よ?」
(え?)
新一は自分の耳を疑った。確かに扉が開いた音はしたが、玄関が開いた気配はなかったはずだ。そもそも蘭が呼び鈴を一度も押さずに入ってくるなんて考えにくい。
「ら、ん?」
驚きを隠しもせず新一はガバリと跳ね起き、声のするほうに振り返った。そこには高校の制服を着た蘭が立っていて。
「なぁんてな」
一瞬で蘭の声が聞きなれた男の声に変わったかと思うと、蘭の顔が歪んで。バリバリとはがされたマスクの下から現れたのは見知った黒羽の顔だった。
一気に口の中が乾く。
「お…まえ…」
「こんなかっこ悪い形でバレちまうとは思ってもみなかったけどな、探偵の家で油断した俺が悪いんだしな」
皮肉げに歪められた口元と、纏う気配は白い怪盗のそれで。
「お久しぶりです名探偵」
「キッ、ド………」
お久しぶりですもなにも、毎日会ってるだろ、とかそんな事を心のどこかで冷静に考えながら新一は目の前に現れた存在に目を奪われた。
***
新一が固まっちゃった…。うわー貴重なモン見ちゃったなぁ、なんてポーカーフェイスの裏側で思いながら、キッドは優雅に一礼する。
ギギギ、と音を立てそうな動きで新一もつられて一礼。
「あー…新一?あっちゃぁ…もしかしなくても大混乱中?」
自分でまいた種なのに、どうしたものかと思考をめぐらせ、
「とりあえずコーヒーでも淹れてくるなー」
聞こえているのかいないのか、別にそこは大した問題ではないため、黒羽は新一の返事を待たずにキッチンへ立った。
ちなみにキッチンに向かう前にパチンと指を鳴らして、セーラー服からいつもの私服に戻っておいた。流石に黒羽快斗に女装癖があるなんて思われたくない。
特売の質より量を重視したような、詰め替え用安物コーヒーしかなかったが、それでも丁寧にお湯を注いで。そこそこ飲める味に変えていく。
真っ黒な液体がたっぷり入ったマグカップを二つ持ち、キッドがリビングに戻ってみれば、どうやら新一はやっと恐慌状態から立ち直ったらしく、落ち着いてソファに座っていた。
コトン、と音を立てて新一の前にカップを置けば、小さな声でサンキュと返される。
「なんかむかつく」
「は?」
コーヒーを一口飲んで、新一はポツリと呟いた。
「だってオメェが俺に正体バラさなかったら、俺はこの先怪盗キッドの正体に気付くことはなかったかも知れねぇじゃねぇか!」
よっぽど悔しかったのか、新一は早口でまくし立て、ギロリと黒羽を睨み付ける。
「まぁねぇ…」
いつもの冷静で論理的な彼しか知らない黒羽は、内心冷や汗をかきながら相槌を打つ。
「しかも俺に正体バラしてどうする気だ?俺は探偵だぜ?」
「新一はフェアじゃないことはしないだろ?」
何を企んでいる、と強い視線で問われるが、黒羽はそれを受け流し、ニヤリと笑って怪盗の笑みを向けた。
「………」
「まぁ今から警視庁にタレこみに行くなら、俺は全力で姿を消すだけだけどな」
「……………行かねぇよ」
肩を竦めて黒羽が言えば、新一は苦虫を噛み潰したような顔をして、腹の底から搾り出すような声を出した。
「ん?」
「だから現場以外では捕まえねぇよ!」
新一は、怒りか照れか、顔を真っ赤にして怒鳴った。言うだけ言ってフイと顔を背けたが、その首元まで赤く染まっている。
「………さんきゅ」
珍しい新一の様子に一瞬ポカン、となって。その後心底嬉しそうに黒羽は笑って礼を口にした。
その後、黒羽が怪盗キッドをやっている理由や、決意を聞き。
自分が怪盗の現場に行くのは金輪際やめた方がいいと思っていた新一は、しかし。
名探偵と追いかけっこするのが好きなんだ、という黒羽の言葉に新一は、時間があれば怪盗の現場に行って捕まえてやるから覚悟しろと、ニヤリと笑って言ったのだった。
***
「………ところで聞きたいんだけど」
「なに?」
「お前さ、ホントに知能指数高いのか?」
「一応公式設定では400あるみたいだけど…」
何を今更、と目が訴えている。
「………じゃあ何でスネ毛剃ってるの見つかっただけで正体バラすんだよ」
はぁ、と溜息を吐いて新一は疑問に思っていたことを口に出した。
「……………あ」
「大体剃るだけだったら、趣味だと思わせることも出来るだろ…」
「あー…あ…あはははは…」
乾いた笑い声をあげ、目を逸らす黒羽に新一は驚きを通り越して呆れてしまった。
「思いつかなかったのか?!」
まさかとは思うけど、と頭につけて言ってやれば、黒羽は決まり悪そうに視線を彷徨わせている。
「お前は本物の馬鹿だ…」
ズキズキしてきた眉間を押さえ、新一は生温くなってしまったコーヒーを飲み干した。
「…まじぃ……」
新一は知らない。
黒羽が友達のポジションから昇格するために、このアクシデントを利用したことを。
一か八かの賭けで正体を明かし、共有の秘密を持ってもらうことで親密度アップを図ったのだということを。
まんまと黒羽の思惑にはまってしまった新一は、きっともうこの怪盗から逃げることは出来ないのだろう。
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