黒羽快斗の憂鬱3



カチャリ、と薄いガラス扉を開けるとそこは天国と地獄の混合空間だった。
うっすらと白く霞んだ視界の向こうには、むせ返るほどに甘いシャンプーやボディーソープの香りに包まれた、白い肢体がシャワーを弾いている。



「し、新一…バスタオル………」
「おーさんきゅ、わざわざ悪かったな」
「いや、いいけど…んじゃ俺リビングいるから!」
「あ、おい…」

扉を開けるときにチラリと見てしまった新一の後姿。慌てて目を逸らしたけれど、その姿は快斗の脳裏に焼きついて離れなかった。
極力新一の方を見ないようにしながらバスタオルを渡し、快斗は脱兎の如くその場から逃げ出した。若干前かがみ気味なのはご愛嬌。

「…ポーカーフェイスはどこいったよ、天下の怪盗KIDサン?」
あとに残された新一は快斗の行動に少しばかり驚きつつも、その口元をニヤリと歪めてポツリと呟いた。



やばいやばいやばい
チラリと目に入った後姿だけでこんなに興奮するなんて、俺は正常な男の子じゃなかったのかよ!
リビングに駆け戻った快斗は、自身の理解できない感情に振り回されていた。
先ほど一瞬目にした新一の肌は驚くほど白くて。いつも一緒にいたし、暑い時は上裸なんて常だったから、彼の裸なんて見慣れていると思っていたけれど、これまで見てきたそのどれよりも、先ほど見た彼の身体は綺麗だった。
(待て待て!綺麗とかおかしいだろ、アイツは男だ!同性だ!!)
自身の思考に慌ててツッコミを入れてみるも、一度思ってしまったことを取り消すことは出来ず、快斗の中で『新一=綺麗』の構造が出来上がってしまった。
普段の彼ならこんなに混乱することはないし、自分の感情を抑えることなど容易いのだろうが、なぜか今日の快斗は新一に対しての自身を抑制することができない。そして損な自分に盛大に戸惑うばかりだ。
ぐるぐると悩みながら、快斗は新一が風呂から出てくるまで思考の渦に沈んでいた。
ちなみに若干首をもたげてしまった下半身の熱については、無視を決め込む事にしたらしい。


***



「ふあーさっぱりした」
「おかえりー…って!ちょ!新一!!!なんつー恰好で徘徊してんだよ!さっさと服着ろ!」
「別に誰がいるわけじゃねぇし、いつものことだろ?いーじゃねぇか。あちーんだよ」
ペタペタと裸足でリビングを歩きながら、片手にはスポーツドリンクのペットボトルを持ち、肩にはタオルを引っ掛け、着ているものはハーフパンツ一枚という出で立ちで新一はリビングに帰ってきた。
もちろん盛大に焦ったのは快斗である。
わたわたと妙な動きをしながら新一から目を逸らす様は、誰が見ても怪しいの一言に尽きるわけで。当然ながら新一もそんな快斗の様子を疑問視するわけで。
「お前…どうしたんだよさっきから…行動とかやけにおかしいぞ」
さては何か俺に隠し事でもあるな、天下の名探偵様を舐めるなよ?と犯人を追い詰める時のようにビシッと指を突きつけ、ニヤリと笑いながら快斗を見つめた。
「ひっ!俺が新一に隠し事とかするわけないじゃん!てゆか隠し事したってすぐにバレるだろ!!!」
アワアワと更に妙な動きをしながら快斗は焦ったように言い募る。本人は無自覚なのかもしれないが、怪しさ倍増である。
「なに?おめーもしかして自覚してねぇの?」
「ッ!?な、何を…?」
「何だと思う?」
くすくすくす、と新一が笑いながらさも楽しそうに快斗を見つめる。
見つめられた快斗は悪戯っ子のようなその笑顔にドキリとしつつ、新一の言葉に盛大に滝汗を流していた。
何だと思う、と尋ねられ快斗が思い当たるのは、先ほど自覚したばかりの新一への想い。けれど、それは流石にまだ彼に知られてはいないと思う。…というか思いたい。自分でも持て余す感情に振り回されているのに、これで拒絶なんてされたら自分がどうなるのか皆目見当が付かないのだ。
「黙秘は肯定と取らせてもらうぜ?」
黙ってしまった快斗に痺れを切らしたのか、新一は小さく舌打ちするとニヤリと笑って。
「それだけ顔に出ててポーカーフェイスの達人を名乗るのか?」
「へっ?」
言われた意外すぎる言葉に、思わず呆けた答えを返してしまう。そんな快斗の様子を、自分の言葉が理解できなかったためと取った新一は、更に言葉を続けた。
「だーかーらー、おめーが俺に隠し事あるのは、顔見たらすぐにわかるんだよ。ったく、天下のマジシャンが聞いて呆れるぜ」
「ええええ!新一だから顔作れないだけだって………うぅ…」
心底呆れたような口調で言われたそれに、慌てて言い訳を並べてみるがジト目で見つめられてしまえば何も返せなくなる。
「うう…精進します」
どうにかこうにか腹の底から捻り出した言葉を満足そうに受け取った新一は、着替えてくると言い残し、さっさとリビングを去ってしまった。

「あ、嵐が去った…」
一人残されたリビングのソファーに沈み込み、快斗がポツリと呟いた言葉は誰に聞かれることも無く霧散した。


***



「…誰が嵐だ」
自室のクローゼットを物色しながら不服そうに呟いたのは、泣く子も黙る工藤新一その人で。
彼は耳に付けたイヤホンから微かに聞こえた快斗の呟きにムッと眉を顰めた。
探偵が盗聴なんてしていいのかと思わないでもないが、何でもアリな両親に育てられた新一にとって、この盗聴は自分の家のセキュリティの一環だと開き直っている。
適当に見繕った無難な服を手早く着、イヤホンを外して盗聴の機材を特殊な鍵のかかった自分の机の引き出しに仕舞うと、新一は何食わぬ顔でリビングへと向かった。



「おかえりー」
漸く落ち着きを取り戻した快斗は、近づく気配に新聞をめくる手を止めそちらを見遣った。
「おう」
きちんと服を着込んだ新一にホッとしたのもつかの間、新一が快斗の横に座ったことで身体がギクリと強張った。けれど、そこは鉄壁だと思いたいポーカーフェイスで何食わぬ顔を装う。そんな快斗に不自然な点は見受けられなかったのか、新一はふと思い出したように空を見つめながらポツリと呟いた。
「ところで快斗、昨日のことだけど…」
「へ?」
「いや、思い出したことがあって…さっきホラ、オメー言ってたろ?何か寝言言ってなかったかって」
「!!!!!!!!!!!」
あまりに突然のそれに、快斗はやっと繕ったはずのポーカーフェイスをポロリと落とし、動揺も顕わに新一を見つめる。
新一は逆にこちらが驚くほど動揺した快斗に、一瞬眉を顰めたが、さして気にした様子もなく言葉を続けようと口を開いた。
「寝言は「待って!言うな!!!!!!!!」」
けれど、新一の言葉に被せるように大音量で快斗が割り込んできたため、新一は驚きと不服が入り混じった不機嫌そうな表情で快斗を見つめて、そして口を噤んだ。
「…………」
「ほ、ほら、自分の寝言なんて聞いたって面白いモンじゃないしさ!」
一気に不機嫌になった新一に、己の失言を悟った快斗は慌てて言い訳を募るが、新一の機嫌は治らず。
「…………」
「それに、うん、どうせくだらない事だろ?うーとか、あーとか」
「…俺的には面白かったぞ?」
やっと口を開いたかと思えば、どこから見ても悪戯っ子の表情で。快斗は胃がキリキリするのを感じた。
「…………聞きたいけど聞きたくないです」
本心からいうと聞きたくないのだが、聞きたいと建前でも付けておかないと新一の機嫌が悪化すると睨んだ快斗は、泣く泣く言葉を搾り出したのだった。
「まぁ聞いとけって」
そういうと、快斗の返事も待たず、新一はウキウキとした様子で息を吸い込むと。


「やめてーアレだけはぁああああああ!!!!!!おかーさあああああああああああああん!!!!!!!!!」

と、快斗が驚くほどの大声で叫んだ。


「…へ?」
あまりに突然の自体に、快斗は呆然と新一を見遣ることしか出来ない。そんな快斗に、悪戯が成功した子どものように爆笑しながら、新一は、
「だから、お前、アレだけはやめてくれ、って泣き叫びながらお袋さんのこと呼んでたんだよ」
と、のたまったのだった。

腹を抱えて爆笑する新一の背後には悪魔の羽と尻尾が見えたとか見えなかったとか。




(…変なこと言ってなくてよかった…)


(何であれだけからかってるのに気付かないんだ?)



なんて、お互いが同時に思っていたのは二人とも知る由が無い。