ケモノミチ



草木も眠る午前二時


けれど、彼は―夏野は眠らず、ただひたすらにそれを待っていた。
徹であって徹ではない、彼の抜け殻。

「徹ちゃん…なのか…」
彼であるはずがない。あっていいはずがない。なぜなら彼は死んだのだから。
虫の鳴き声すら聞こえない、世界から切り離されたような静寂の中、胸に抱いた杭を握り締め、ポケットに入れた自作十字架とベルトに挟んだ木槌の重さを感じることでしか自身の存在を意識できない。
「寒ッ…」
秋が近づいてきた山村の夜を外で過ごすには薄手のパーカーでは少し頼りない。
思った以上に体が冷えていた事に気付いた夏野は上着を取りに戻るべきか少し思案し、けれどそれは得策ではないと判断して、また彼を待つ事に専念した。

どれくらい経っただろう。
それは、来た。



コツン、コツン
小さな音でもって、窓を叩いている黒くてよく知った、影。
「夏野…夏野…」
少し躊躇いが感じられるようにも聞こえるその声は生前の彼と寸分違わず、息を潜めて見ている夏野を混乱に陥れた。

 大きな体を小さく屈めて窓を叩いているのは一体誰なのだろう。
 あの切なくなるような声で自分を呼んでいるのは………徹ちゃん?

幾つもの仮説が、思い出が、疑問が、一瞬にして夏野の中を過ぎる。それらと戯れたい衝動を必死で押さえ、夏野は影を見据えた。 今は…混乱に呑まれている場合ではないのだ。




「……ここだよ」 夏野はそっと立ち上がり、徹を呼んだ。


「ッ!!!!!?」
よほど驚いたのか、徹は今にも叫びだしそうなのを必死で押さえたような形相で夏野を振り返り、動きを止めた。
そろり、そろりと後退していく夏野を、徹はただ呆然と眺めているだけで、追いかけようとも襲おうともしない。そんなところが生前の徹らしくて、おかしくて、……悲しかった。

数歩後退したところで、徹は恐慌状態から立ち直ったのか、意を決したような表情で一歩夏野に近づいた。一歩、夏野が下がれば、徹はその倍を追いかける。
ポケットの中の頼りない十字架を上手く握れず、自分で思っていた以上に緊張していたことを知った。焦る指先で木片を捉え、徐に徹の前に突き出す。
「……こういうの、効く?」
「………」
徹は何も言わないが、一瞬眉を顰め、息を呑んだことは暗闇の中でも夏野にはっきりと伝わった。けれど徹の反応では効果があるのか無いのかはっきりしない。
後退しながらもう一度突き出すと、今度は目に見えて狼狽えた。歩みまで止まったのだから間違いない。十字架を徹に見せ付けるようにしながら、夏野荒れた林を駆け登っていく。


「ッ…は…っ…」
細いとも太いとも呼べる一本の木に背中を預け、荒れた呼吸を整えていると、やっと徹の姿が見えた。
もう一度、夏野は十字架を掲げると、徹はその場で怯えたように立ち止まり、困惑した表情で夏野を見つめた。
「こんなもんが怖いのかよ」
言葉と裏腹に、冷や汗が浮かび走ったためではない動悸が夏野の体を支配する。呼吸は収まるどころか喉を締め付けるような苦しさで、夏野は眉を顰めた。
「……夏野」
「そっちの名前で呼ぶな、ってば」
「……夏野」
(誰だよ、お前…!徹ちゃんは死んだんだ!!)

「呼ぶなってば!」
苛々と投げつけた十字架は、けれど徹に当たることもなく闇にまぎれてしまった。
「徹ちゃんみたいな顔してんじゃねえよ。あんたもう、別物だろうが」
殆ど叫ぶように言って、夏野は杭を胸の前で握り締めた。



「ッ…!!!!こんなもん…刺せるわけないのに!!!!!なんでだよ!徹ちゃんじゃねえのに!!!!」

杭を投げ出してその場に膝を付いて俯いた夏野に、徹はそっと歩み寄り、優しく撫でて耳元で囁く。
「…夏野…ごめん」
首に感じる冷たさと、胸を締め付けられるような声色に、夏野の抵抗は全て消え去ってしまった。
「多分…ずっと好きだったんだ…」
夜風に消えた告白はどちらのものだったのか。



***



冷たい。
最初に感じたのはそれだけ。夏野はその冷たさが一体何によるものなのか、考えることすら出来ない。ただ冷たいものが肌を這い、撫で回しているのをぼんやりと感じるだけだ。


「っの…夏野…ココ、いい?」
急に耳元で声が聞こえて、夏野は伏せていた目蓋をゆるりと持ち上げた。
「…とお、るちゃん…?」
「夏野はココ弱いんだね、体はグッタリしてるのに…こっちはこんなに元気だ」
クスリ、と徹は笑いながら、手に付いた夏野の体液を舐め取る。
けれど夏野はそれを咎める事もなく、ただ弱々しい視線で眺めるだけで、徹の行動を理解しているのかすら疑わしい。
夏野が抵抗しないことに気を良くしたのか、徹は更に行為を進めた。


鈍い痛みが下半身から伝わっているが、それに眉を顰めるのすら億劫で。夏野は、ゆるゆると徹の方を見遣ることしか出来なかった。
無理やりに開かれた場所から鮮血が溢れ出す。
元々受け入れるように出来ていない場所を、碌に慣らしもしないでこじ開けたのだ。
しかし徹はその錆びた鉄の匂いに哀れみを感じるどころか、体の奥底が疼くのを意識した。湧き上がる疼きに急かされるように自身を荒々しく引き抜くと、夏野の足を大きく開き、流れる赤を一滴だって零さないように、丁寧に丁寧に舐めとっていた。
もちろん徹は自分のそこだって碌に触ったこともないし、そこを征服する事に興味を持ったことはなかった。けれど、何故か夏野が相手だと嫌悪感を持つどころか、むしろ至福のひと時に思えたのだった。



「ッ………ぁ、……」
大量に血液を失ったことで酷い貧血状態の夏野は、与えられる刺激に反応を返すことはなく。内臓を突き上げる振動によって喉の奥から発せられる、嬌声というには程遠い音を出すだけだ。
そんな状況にも関わらず、徹は自分がかつてないほどに興奮しているのを自覚した。律子を思い浮かべて自慰行為に耽る時だってこんなには興奮しなかったのに、だ。
「っの…夏野!!」
酷くだるそうにしている夏野を抱きしめ、夢中で腰を振る。
生まれてから死ぬまで、女性とだって経験したことのなかった行為なのに、体が勝手に動いた。


徹はそれまで夏野を恋愛対象として見た事はなかったし、屍鬼となった今でも恋愛対象として見る事はないと思っていた。
なのになぜ自分は今、こんなにも興奮している―?

冷静な思考は頭の隅に追いやられ、ひたすら快楽を追う。


全てを吐き出し、徹はもう動くことも出来ない夏野からゆっくりと自身を抜いていく。
コポコポと零れる白濁は、けれどどこまでも冷たかった。