初心者マークと保護者と保護者3



どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう

エドワードは床に放られた姿のままカチコチに固まってしまっている。
扉が開けられた瞬間、一瞬だけ見えた中の人物は、今一番自分が会いたくないと思っている人なわけで。
できる事ならこのまま逃げ出してしまいたい。けれど、このまま何も言わずに逃げ出す事を彼が許すわけがない。
自分が今後どのような行動を取るのが最善手なのか、エドワードはそれだけをひたすら考える。
最早頭の中は『どうしよう、どうしよう』と、その文字だけが浮かんでくる始末。明晰なはずの彼の頭脳は一番大切なときには動いてくれない。

「…いつまで床に這いつくばっているつもりかね…」
呆れたようなロイの声で、エドワードは自分が今どのような姿を晒しているのかにやっと気が付いた。
それまで考える事に必死すぎて、自分の姿や、放り込まれた時に擦った膝の痛みなどは忘却の彼方だったのだ。
「ッ!!!」
慌てて体を起こすと、椅子に座っていたはずの人物が予想外に近くにいる事に驚き、エドワードは息をのんだ。
「…一体何があったかは知らないが、とりあえず立ちなさい。」
ロイは手袋の嵌められていない手を差し出すと、エドワードの腕を掴んで立ち上がらせた。
そして。


「落ち着いたかい?」
隙あらば逃げ出そうと目論んでいたはずのエドワードは、ソファーに座って勧められるままにコーヒーとお茶請けを摘んでいたりする。
「…まぁ。つか仕事いいのかよ。また中尉に撃たれんぞ。」
コーヒーをゆっくり飲みながら、エドワードは尋ねた。もちろんロイが『忙しいからそれを飲んだら出て行ってくれ』と言う事を目論んで。
けれど、事はエドワードの思惑通りには進まない。
「ちょうど一区切り付いたところだよ。それに中尉は少し前から外出している。」
自分にとってあまり喜ばしくない事態に、エドワードは少し顔を顰めた。
「ふぅん。まぁいいや。じゃ俺、図書館行くから―」
エドワードは残りのコーヒーを流し込むと、一気にまくし立て席を立って。しかし、その腕は不意にロイに強く引かれ、バランスを崩したエドワードは、そのままソファーに強制的に座らされた。
「ちょ!!!何すんだ!!!放せよコラ!!」
ギャーギャーと喚きながら、ロイの腕から逃れようとエドワードは足掻く。だが、ロイの手はがっちりと自分を捕まえており、逃れる事は叶わなかった。

「どうして逃げる?何か話があって来たんだろう?」
暴れるエドワードとは対照的にロイは落ち着いている。エドワードが練成できないように両手を取り押さえつつ、静かに尋ねた。その目は真っ直ぐにエドワードを射抜く。
「はっ、話す事なんて何もねぇよ!!!だからこの手を放しやがれ!!」
ロイの目を直視する事ができず、エドワードはロイの手を外す事に集中しているように振舞いながら言葉を返した。
けれどそんな彼の態度は、何よりも雄弁にロイの言葉を肯定しているようにしか見えない。

「そんなに動揺した?」
主語を省いた言葉で、突然ロイが楽しげに尋ねる。その言葉は先ほど強制的に座らせた事に対する言葉なのか、ロイの言葉に対してなのか、それともそれらとは異なる何かに対しての言葉なのか…。
恐らくエドワードが正常な判断力を持ち合わせていたなら、その言葉に対して何かしらの反論を返しただろう。
しかし、今のエドワードは殆どパニック状態で。そんな時に揺さぶりをかけるような言葉は、彼の本音を引き出すには十分だった。
「ッ!!!!」
エドワードは愕然とした目でロイを見つめ、その抵抗はストンと消えた。そしてぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「…んか…動揺なんかしてない…お、れは…ただ…おめでとう、って…祝ってって思って…」
無理やり捻り出した言葉に勇気付けられたのか、エドワードの言葉は徐々に明朗になっていく。
「そうだ、俺はあんたを…祝ってやろうと…だからアルと一緒に来たんだ!」
どうだと言わんばかりにふんぞり返って、先ほどの動揺は微塵も見せず。エドワードはロイに向き直った。
もちろんロイは、エドワードが『自分の結婚』についての噂を耳にして動揺している事など初めからお見通しなわけで。エドワードの態度が虚勢を張っているだけだという事はすぐにわかった。
その上で、目の前の少年をからかってみたい気持ちが湧き上がってくるのは抑えられそうもなく。
「鋼の、祝福してくれるのはありがたいのだが…その話はどこで聞いたんだい?」
「えッ?どこって…限定するのは難しいほどにたくさんの場所で。」
どこでと聞かれても、場所を上げればキリがない。強いて言うなら女性が多く集まる場所、だろうか。
質問に戸惑ったであろうエドワードの様子に、ロイはニヤリと口の端を歪めた。
「その話の信憑性は?軍部の施設で聞いたのかい?」
噂話に信憑性もなにもあったものじゃない、と心の中で思いながら。けれどそれを表情に出す事はせずロイは問いかけた。
「いや、でもゴシップ誌でも大きく取り上げられてたし…。」
エドワードはわけのわからないロイの言葉に警戒しているのだろう。睨みつけるようにこちらを見つめている。
「ふぅむ…ではきみはただの噂を信じて私を祝福しに来てくれたのか。それは光栄だな。」
ニヤニヤと笑いながらロイは言葉を紡ぐ。その様子に、わけのわからない質問で怒ったのであろうエドワードが、食って掛かった。
「なんだよ、何が言いたい。っていうか、何で笑ってるんだよ。そのニヤニヤ笑いやめろ。」
睨みつける眼差しを、不機嫌な口調を隠そうともせず。
「いやね、きみがそんなに私の事を気にかけてくれているのが嬉しくてね。」
「はぁ?部下が上司の結婚を一応祝っているだけだろ。」
「私や、私の直属の部下に直接聞いたわけでもない話を真に受けてここまで尋ねてくれるなんて、それだけで嬉しいよ。」
「…なんだよそれ。まさか結婚は嘘でしたとか言うんじゃねぇだろうな。」
「結婚は嘘ではない。本当にあった事だよ。けれどね、何もきみが祝うことじゃあないんだ。」
静かに、ゆっくりと告げられたそれは。
「ッ!!!!!」
その言葉の意味を頭が理解した瞬間、エドワードはザッと血の気が引く音を聞いた。
「…んだよ…それ…。」
一番聞きたくなかったそれ。もう自分は要らないという事を、やんわりと伝えてくるそれ。
今まで逃げてきたツケはあまりにも大きくて。
エドワードは、はははと乾いた笑いをあげながら力なくソファーに身を沈めた。
「あぁ…そんな泣きそうな顔をしないでくれ。鋼の、きみは勘違いしているよ。」
何故かロイの幾分か焦った声。
「…勘違い?」
勘違いもなにも。今あんたが自分で言ったじゃないか。俺に祝福される義理はない、と。