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いちばん欲しいもの 上
草木も眠る午前二時。黒羽快斗は現在非常に困っている。ナニに困っているかなどというのは、高校生男子の矜持のためにも多くは語らないでおこう。しかし、この困惑は彼から睡眠欲を奪うほどには大きく、そして初めてのものなのだ。
「…眠れねえ」
黒羽はベッドの中で大きく寝返りを打ち、布団を抱きしめて呟いた。怪盗として活動を始めて以来、このように眠れなくなることも多々あり、それ由来の不眠かと思っていたのだが、それらと現在とでは似ているようで明らかに異なっている。
無理やりにでも眠ろうと、ぎゅっと瞳を閉じた黒羽の脳裏には、一人の人間がチラついて離れず、更には言うのも憚られるような身体症状となって現れているのだ。それが既に何時間も、正確に言えば何日も続いている。
「信じらんね…」
目を閉じたままポツリと呟いた言葉は、暗く冷たい部屋に溶けていった。
黒羽の睡眠を妨害する人物、それは東の名探偵、工藤新一その人である。ひょんなことから二人は知り合い、すぐに仲のよい友人と呼べるまでになった。休日には揃って出かけ、互いの家を訪問しあい、キッドの犯行日には良きライバルとして対決する。恐らく彼らは最高の親友だと互いに思っていたのだろう。
しかし、いつしか黒羽は自身が工藤との時間を過ごす間、奇妙な焦燥感のようなもの抱くようになったことに気付いた。気のせいだろうと思っていたそれは、いつしか無視できないほどに黒羽の心を占めるようになり、身体症状となって表れ、そしてついには眠れなくなった。
これは尋常ならざる出来事だと一人困惑していたところ、クラスメイトの自称魔女から「私に靡かないと思ったら光の魔人に恋してしまうなんてあなたらしくていっそ憎らしいわ」と半ば謎賭けのように指摘され、思いがけない展開に更なる混乱が招かれることになってしまった。しかし恋愛事に疎い彼も仕舞いには己の心を認め、工藤への恋心を自覚したのである。
かくして黒羽は不眠の原因をついに究明した。しかし、原因がわかったところで、不眠が治るわけではなかった。むしろ以前より症状は重くなっている。携帯を見つめては溜息をつき、改札を潜れば工藤の家へと向かう電車に無意識で乗ってしまう有様である。
「いい加減になさい。黒羽君、最近のあなた鬱陶しいのよ」
「…だってよ…」
「だってじゃないわ。そんなに悩むならさっさと告白でも何でもしてきたらどうなの」
「あいつはノーマルだし…つか何でンなこと知ってんだ」
「あら、私の力をナメないでいただけるかしら。大体、不可能なものを奪うのが怪盗でしょう」
「俺は怪盗じゃねーもん」
「ああもう、本当に鬱陶しい!」
我慢の限界とばかりに机を叩き立ち上がると、小泉は黒羽の鼻先に人差し指を突きつけて高々と言い放った。
「これ以上その鬱陶しいのを引きずるようなら、今すぐにこの場の男性全員があなたの事を恋愛対象として見る魔法をかけますわよ」
「げ。ちょ、それは…!」
「それが嫌ならさっさと白黒はっきりさせてきなさい!」
彼女なら本当にやりかねない。小泉がゆっくりとカウントを取り始めるのを聞いた黒羽は、慌てて教室を飛び出したのだった。
さてこれからどうしたものか。小泉に背を押されるようにして工藤邸の前に来た黒羽は、殆ど勢いだけでここまでやってきたため、この先を考えていなかったのだ。ほとほと困り果てた黒羽は門扉の前に座り込み、深く息を吐いた。
「…誰かと思えば…オメーかよ」
ぼんやりと携帯のゲームに興じていた黒羽は、突然頭上から降ってきた声に驚き、思わず携帯を地面に落としてしまった。
「げ、工藤…って携帯!」
「げ、とは何だ。人を化け物みてーに」
慌てて携帯の傷の有無を確認している黒羽を尻目に、工藤は鞄から鍵を取り出し、扉を開いている。カチャリと軽い音がして、工藤はさっさと門の置くに入ってしまった。
「あー…いや、うん、悪い…まだ学校かと思ってたから」
なんとなく続いて入れないまま歯切れ悪く質問に答えていると、呆れたような視線とともに工藤が扉を今一度開いた。
「今日は昼までだったんだよ、つかいつまでソコで座ってんだ。ザマ悪いからさっさと入れって」
「え、あーお邪魔します…」
「…変なヤツ」
肩を竦め首をかしげている工藤に、黒羽は苦笑を返すことしか出来なかった。
いつもの如く工藤の部屋に直行かと思っていた黒羽の予想は外れ、工藤はまずキッチンへと向かった。黒羽だけが先に工藤の自室に向かっても咎められはしないだろうが、工藤についてキッチンまで来てしまったため、今更部屋に向かうのも憚られる。無言のままコーヒーを入れている工藤の背中を見つめ、黒羽は所在なさげに立ち尽くしていた。
コーヒーのカップを二つ持った工藤は、制服のネクタイを緩め首元をくつろげると、ジャケットを脱いでリビングのソファに座った。
「んで何の用だ?授業サボってまで俺を待ってたなんて」
優雅にコーヒーを飲む姿に思わず見惚れてしまう。カップに押し付けられる唇、だらしなくくつろげられた喉元がゆっくり動くさまは思わず息を呑むほどに艶めかしい。
言えない。言えるはずもない。工藤にじっと見つめられ、優秀なはずの黒羽の頭は空回りした。
「えっと…」
言葉が何も浮かんでこない。上手い言い訳も、適当なあしらいも、恐らくポーカーフェイスですら保てていないだろう。
互いに沈黙を保ったまま、相手の様子を伺っている。時計の秒針がやけにゆっくりと時を刻む音だけが静かに室内を埋めている。
「…探偵と友達ごっこするのはお終い…ってことか?」
やがて工藤が重々しく口を開いた。工藤から伝わるただならぬ緊張感に、口の中がカラカラに乾いてしまい上手く言葉が出ない。
「ち、が…」
「じゃあ何だよ。オメーがそんなに緊張するなんて…安心しろよ。俺はオメーの正体を口外しねえし、もう現場で追いかけもしねえよ」
「ちが!俺は!」
殆ど反射的に声を発していた。工藤が少し驚いたように黒羽を見ている。
「…俺は……」
こぶしをギュっと握り、目を瞑った。言うなら今しかない。今だ、言え、言うんだ。
「俺は、工藤と…友達でいることはできない…」
うつむいた工藤の肩が震えている。黒羽は挫けそうな心を叱咤して言葉を続けた。
「俺、工藤が好きなんだ。…同性からこんなこと言われてキモイと思うけど、俺…オメーが好きで、好きで…眠れなくて…言うつもりはなかったんだけど、あか…友達に背中押されて…」
そこまで言うと黒羽は黙り込んでしまった。言葉を続けたくても出てこないのだろう。工藤は目を伏せ、心境の読めない表情で静かに座っている。
沈黙に耐え切れなくなった黒羽は大きく息を吐くと、軽く頭を振って立ち上がった。
「…悪い、いきなり変なこと言っちまって…帰るわ」
「あ、ああ…」
パタンと閉まった扉の音がやけに硬く冷たかった。
「…失恋けってー」
とぼとぼと道を歩きながら見上げた空は、黒羽を打ちのめすには十分なほどに青く明るく、まるで抜けるような快晴だった。
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